「真言」は日常の言葉とは異なっていることが望ましく、言葉の響きが重要とされる。このため、般若心経の「真言」も音訳されることが多い。
「真言」は、それをただ唱えれば何かが叶えられるという魔法の言葉ではない。本来、「真言」は経典や仏の智慧を心の中に呼び起こすための言葉。
意味や智慧を理解する努力無くしては意味のないものである。
般若心経の「真言」は正規のサンスクリット語ではなく、意味ははっきり分らないが、「ガテー」は「行く」という言葉の過去受動分詞、女性単数の呼格と思われるので、般若心経のテーマである悟りをもたらす(彼岸に行く)女性名詞の「智慧」へ呼びかけているのだろう。
つまり、般若心経の「真言」は「智慧よ悟りをもたらし給え」という内容であり、修行の目標そのものを意味しているのだ。
そして、過去に、菩薩がこの「真言」を唱えた結果、実際に智慧を完成させて悟りを得て目標を達したのだから、この「真言」はその言葉の内容を実現する力がある真実のものであるということになる。
よって、「般若波羅蜜多」の修行の真髄は「真言」であり、「般若波羅蜜多」は「真言」のように目標を実現する力があるというのが般若心経の主張なのだ。
「智慧」はインドの言葉では女性名詞であり、「智慧」によって仏が生まれるということから、「大般若経」では「般若波羅蜜多は諸仏の母」と書かれ、後に密教時代になると、「般若仏母」と呼ばれる女性の仏であると考えられるようになる。
般若心経にも「智慧」を女神のように考えていたという側面がすでにある程度あったと見受けられる。
当時のインドはヘレニズム文化圏の東端にあり、ギリシャやイラン(ペルシャ)系の王朝が次々と支配し、その文化の影響を受けていた。
仏像が生まれたのはギリシャ彫刻の影響であり、救いや光の性質を持ったたくさんの仏や菩薩が生まれたのはイランの神々の影響とされる。
当時のヘレニズム文化圏では宗教を超えた霊的な「智慧の女神」に対する信仰が広がってたので、般若心経にもその影響があっても不思議はない。
ギリシャの「智慧」、女神「ソフィア」の影響を受け、イランでは河の女神「アナーヒター」が智慧の女神となった。
「アナーヒター」は観音菩薩の誕生にも影響を与えたと言われている。